5月
5/3
ACR-iCARD。
フィリピンで一番僕を困らせたもの。
フィリピンの次にタイに行く計画だったのでフィリピンでタイのビザを取得する必要があった。
提出書類の一つにこのACR-iCARD(以下iカード)があり、何としてもこのカードを手に入れなければならなかった。
このカードはイミグレで手に入れることができる。
僕の滞在地のセブにもイミグレはあり、滞在期間の延長などを行うことができた。
ほとんどの人はここで用が済む。
iカードも発行することができたが、語学学校のスタッフさんに話を聞くと申請からカードが手元に届くまでに何と半年以上かかるらしい。
フィリピン滞在期間は3か月なのでもちろん間に合わない。
何としても3か月以内にiカードを手に入れ、タイのビザを申請する必要がある。
色んな人に話を聞いて、ネットでも調べてたどり着いた答えは首都のマニラに行くこと。
イミグレの本部のような場所に行けば、申請したその日にiカードをもらえるとのことだった。
そして5/3に語学学校の授業を休んでマニラに行くことに。
かなり弾丸であったが日帰りで行くことにした。
飛行機の時間が7:30とかなり早かったため、家を出たのは朝の5時だった。
タクシーに乗って空港へ。
セブの「セブ・マクタン空港」では空港に入るのにも手荷物検査が必要だったのでかなり時間がかかったが無事飛行機に搭乗することができた。
1時間半ほどでマニラの「ニノイ・アキノ国際空港」に到着。
イミグレに行くのには電車に乗らないといけないのでタクシーに乗って近くの駅へ。
駅について驚いたのだが、改札口までに長蛇の列が並んでいる。
こっちでは電車に乗るのにも手荷物検査が必要だということをその時知る。
結局駅についてからホームに入るまでに30~40分はかかった。
こっちにもsuicaのようなICカードがあるのでそれを購入。
電車に揺られることおよそ30分。イミグレ最寄りの駅に到着した。
そこからさらに歩いて30分程度。
12時頃。
ようやく目的地のイミグレの本部に到着した。
中に入ると人がたくさんいた。
建物中央に受付があったのでそこで用紙をもらって記入した。
用紙を記入してから結構待ち(30~40分?)ようやく自分の番が来た。
その後お金を支払い、カードの発行までに時間がかかるというので外へ。
建物を出るとすぐに屋台などが立ち並んでいる場所があったので適当な場所に入って遅めの昼食を食べた。
近辺を散策していたら時間になったのでイミグレに戻るとiカードが発行されていた。
セブで取得できないと分かってから急ピッチでいろんなことを調べ、日帰りでマニラに行けるかなどを計算し、飛行機を手配し、など大変だったのでiカードを手にしたときは本当に嬉しかった。
無論このカードを手に入れることが本当の目的ではなく、タイのビザを取得することがゴールなのでまだ安心はできなかったのだが…
また、この日重大なミスをしてしまい後で痛い目に合うことになる。
それは2週間後の話。
ACR-iCARDの入手方法は以下の記事にまとめた。
セブ島留学 ACR I-CARDを自力で入手!!
すべて終わったのは14時ごろ。
セブに帰る飛行機の時間は22時だったので、イミグレのすぐ隣にある「イントラムロス」に行った。
これは16世紀にスペイン人たちによって建てられた城塞都市のことである。
ちなみにイントラムロスとは「壁の内側」という意味らしい。
この中に「マニラ大聖堂」や「サンチャゴ要塞」などの有名な観光スポットがあったので足を運んだ。
マニラ大聖堂はとても立派な教会で、スタンドガラスがきれいだった。
サンチャゴ要塞は当時の状態が比較的残されており歴史を感じることができた。
イントラムロスから歩いて30分ほどの所にフィリピンの英雄ホセ・リサールの像がある「リサール公園」があったのでついでにそこにも行くことに。
衛兵がいて少しびっくりしたが、それほどホセ・リサールがこの国にとって重要な人物であったとういうことだろう。
少し早かったが、暗くなり始めたので18時ごろに来た時と同じルートで空港に戻った。
空港に到着したのは19時ごろ。
飛行機の時間は22時なので3時間程度待つことに。
不幸なことに飛行機が遅れるとの連絡が。
なんと2時間も。
後から聞いた話しでは国内線が遅れるのは毎度のことらしい。
結局5時間ほど空港で待って、ようやく飛行機に乗り、語学学校に戻ったのは深夜2時だった。
朝5時に出発して戻ってきたのは2時でありとても長い1日だった。
加えて色んな所に行き、22,000歩も歩いたのでとても疲れた。
5/4
学校から歩いていける距離に屋台が数多くあったが今まで行ったことが無かった。
マニラで屋台デビューしたのでこっちでも行くことに。
店の前に焼き台を出して肉を焼いていたところに行き、焼き鳥と笹のようなものにくるまれたお米を2つ食べた。
5/13
この日はフィリピンの選挙の日だったので授業が無かった。
先生たちによると選挙の日は暴れる人がよくいて、銃を使う人もたまにいるため家でおとなしくしていた方がいいと言われたので、その通りにした。
フィリピンの選挙では賄賂が公然と行われており、ひどい時には選挙会場の外で候補者が待っていて出てきた人たちに手渡しで現金を渡すということもあるそうだ。
日本では考えられない。
5/17
来週マニラに行き、タイの大使館でタイのビザを申請する予定であったので書類の準備をしていた。
今月末に取得したACR-iCARDを見ていたらなんと住所のスペルが間違っているではないか。
“EMERALD”が正しいはずなのに、”EMERAALD”と一つ余分にAが書かれてしまっている。
フィリピンのお役所仕事の雑さに腹が立った。
タイのビザを申請する時に恐らくこれで出しても通ると思った。
しかし、仮にこの住所のスペルミスのせいでビザが通らなかったら一大事である。
なぜなら、申請が却下されても提出書類は没収されて戻ってこないからだ。
書類の中にはタイの受け入れ先から郵送された書類もあった。
もう一回送ってもらえばいいじゃないか、と思われるかもしれないがフィリピンの郵便事情は最悪で送ってから1年以上たって配達されるということも珍しくないのである。
つまり、タイのビザの申請のチャンスは1回でミスは許されないのである。
このような理由で、このiカードを再発行するためにマニラに行ったときにもう1回イミグレに行くことにした。
幸運にも日程には余裕があったのでカードの再発行とビザの申請をどちらも行えると思う。
5/20
朝の4時に起きた。
この日は今月2回目のマニラに行く日だった。
今回は授業を1週間丸ごと休んで6日間の滞在予定であった。
上にも書いたようにまずiカードの再発行をしなければならなかったので、前回マニラに行ったときと同様にイミグレに行った。
自分の番になって誤った住所が書かれたカードを職員に見せて以下のような会話をした。
「スペルが間違っているから再発行して欲しい」
「もう一回正規の値段を払わないといけない」
「間違ったのはそっちだから無料で再発行できないのか」
「カードを発行する前に君に最終確認をさせたはずだ」
確かに紙を渡されてこれでよいかと聞かれた記憶があったのでそれ以上は食い下がらずに仕方なく従った。
Aが1つ多かっただけで5500Peso、日本円で11000円も無駄に払うことになった。
あまりに腹立たしくて、あっちが間違えたのはわざとでこれを狙っていたのではないかと思うほどだった。
だがようやくカードが手に入ったので、USBに入っていた提出書類に必要な航空券のeチケットを印刷しようと思った。
しかしここでちょっとした問題にぶつかる。
コピー機が見当たらないのである。
日本だったらコンビニにコピー機があるのでどこでもできる。
ここがフィリピンの田舎だったら話は分かるが大都市マニラのど真ん中にいるのである。
ググってモールの中のインターネットカフェでコピーができるというので、電車に乗ってそのモールに行き、ずいぶんと中を歩き回って(フィリピンのモールはかなり大きい)ようやくお目当ての場所を見つけた。
ここまでしてようやくタイのビザ申請に必要なすべての書類を集めることができた。
その後また電車で数駅移動し、あるいて20程度歩きゲストハウスに到着した。
看板が無くて玄関の前を何回か通り過ぎたが、何とかたどり着いた。
その夜は適当にご飯を食べて疲れていたのでぐっすりと眠った。
5/21
この日は宿を8:30に出てタイの大使館にビザの申請に行った。
大使館は9:30に空くのでJolibeeというファストフード店で朝食を済ませてから到着した。
すでに人が並んでおり整理券の番号は15番であった。
建物の中に入ると身分証明書を見せて、待合室で待機した。
結構長い時間待ってようやく自分の番になった。
正直かなり緊張していた。
なぜならこれが一度きりのチャンスであるし、書類に不備が見つかったり英語でうまく対応できなくてあらぬ誤解を生んだらどうしようかと考えていたからである。
しかし、何事もなく終わった。
その次の日に自分のビザが問題なく受理されたか確認するために大使館に電話をしてほしいと言われ、電話番号をもらった。
大使館から出た時は夏休み前の最後の期末試験が終わったかのような晴れやかな気持であった。
その日はマニラ動物園に行こうと思っていたので配車サービスのGrabを使ってタクシーを呼んだ。
動物園に到着するとなんと閉園していた。
工事を行っているとのことだった。
事前に調べた時はそんなことネットに書いてなかったし、あとで見てもそのような情報を見つけることができなかった。
とても残念だったので近くにあった”Ocean Park”という水族館のようなところに行くことにした。
動物園からの移動にはトライシクルを使ったが、その運転手にかなり高い金額を払えと言われた。
確かに少し長く走ったが、150~200Pesoが妥当な値段である。
しかしその運転手は700Peso(1400円)払えと言ってきた。
トライシクルの中で30秒ほど押し問答があり、最終的に300Pesoを払って逃げるように外に出た。
お腹が空いていたので水族館に行く前に近くの屋台でご飯を食べた。
何も調べずに来たので、ネットで入場料を見てみるとなんと日本円で4000円ぐらいした。
マニラに来るだけで大金を使い、その上iカードの再発行でもお金を失っていたので仕方なくあきらめた。
近くの公園のベンチに座りどこに行こうかGoogleマップを見て考え、最終的に美術館に行くことにした。
他の国の国立の美術館や博物館にもこのような場所は多いが、その美術館も入場料が無料であった。
無料といっても展示物はとても充実していて、かなり有意義な時間を過ごすことができた。
5/22
この日は昼過ぎにタイの大使館に電話をしなければならなかったので、朝起きてからそれまではゲストハウスにいた。
共用スペースで作業をしていると他のゲストが話しかけてきた。
その人は韓国人で「金田一」と自称していた。
日本文化が好きらしくアニメなどについて話した。
お昼ご飯を一緒に食べないかと誘われたので、大使館の電話を済ませて一緒に近くのモールへ行きフードコートでご飯を食べた。
昨日の朝、実は日本人のD君と宿で出会っていた。
年が近そうだったが、話しているとなんと共通の友人がいることが判明した。
世界は狭いと思った。
今日の夜はD君と、その知人とご飯を一緒に食べる約束をしていたので30分程度かけて少し離れたモールに向かった。
約束の時間となりみんな集まると、そのモールから15分程度歩き、ピザ屋さんに着いた。
少し奥まったところに立地していたが、外観も内観も非常にオシャレであった。
その日は水曜日であったが、このピザ屋では水曜日にビールを6本頼むとピザが1枚無料になるというイベントをやっていたので、その通りビールを注文し1人2本飲んだ。ピザは予想していたよりもはるかに美味しかった。
D君の知人はフィリピンで働いていたので、外国で働く楽しさや大変さを話して下さり大変ためになった。
ビール片手にピザを食べ、有難い話も聞けてとても楽しい夜だった。
5/23
15時にビザを受け取る予定だったので、それまで博物館に行くことにした。
「AYARAモール」に併設されていたこの美術館は有料であったが、60個の精密なジオラマとともにフィリピンの歴史を学ぶことができる博物館だった。
この美術館に1時間半ほど滞在した。
入場料も700円と高くはないし(フィリピンの物価からすると高めではある)、大変勉強になるのでマニラを訪れた際はぜひ足を運んでほしい。
その後軽く昼ご飯を食べてタイの大使館に向かった。
何事もなくタイのビザを手に入れることができた。
これを手に入れるために出国前から、受け入れ先に書類を郵送してもらったりiカードを発行するためにマニラに日帰りで行ったりして、何よりインターネット上に情報が全然なかったので自分で色々調べてとても疲れていたので、ビザを手にしたときはとても嬉しかった。
その夜は昨日出会った金田一と夕飯を近くの屋台で食べた。
その後ゲストハウスに戻ると日本人のような人たちが4人いた。
あいさつをしてくださったので、しばらく話しているとその内の2人が何と僕と同じトビタテ生だった。
マニラよりも北の方にある町にある語学学校でインターンのようなことをしているとのことだった。
そしてその語学学校の経営者がマニラに来る予定があったので学生3人を連れてきたらしい。
まさかこんなところでトビタテ生に会えると思っていなかったので非常に驚いた。
5/24
朝目が覚めて共用スペースに行くと昨日であった日本人が机で作業していた。
その内の1人は昨日は今朝早くに来たらしく初対面であったがその人も数年前に留学を終えていたがトビタテ生であった。
合計で3人のトビタテ生に会ったことになる。
その日本人たちはフィリピンで語学学校+αのようなものを経営しているとのことだった。
そこでは英語に加えて、農業などの「体験型学習」をできるそうだ。
その紹介スライドのようなものを作成しており、意見が欲しいと言われたのでアドバイスを差し上げ、微力ながらお手伝いさせていただいた。
2人で経営なされており、どちらもお若い方であったので是非頑張って欲しい。
その日はそれから自然史博物館と人類史博物館に行った。
他の国の国立博物館でもこのような場所は多いが、それらの博物館も国立で入場料が無料であった。
無料といっても展示物はとても充実していて、フィリピンに生息する多くの動植物の模型やフィリピンの文化を学ぶことができた。
その後は近くのモールに行き適当に時間をつぶした後に、空港へ向かった。
行くターミナルを間違えるというミスをしたが、時間は十分すぎるほどにあったので少し余分にお金を払っただけで何事もなく到着した。
飛行機がまた遅れたがそれ以外に特に問題はなく、最終的に語学学校の自分の部屋に着いたのは深夜1時頃であった。
2回もマニラに行き、様々なところに行った。
それらは入場料などを併せて、以下の記事にまとめた。
マニラ観光おすすめ
5/25
4月の最初の週末に「ラプラプシュライン」というマゼランの御廟が見れるところに行ったが残念ながら工事中で入れなかったので、もう1回チャレンジしようと思っていた。
ちょうど他の語学学校の生徒でも行きたい人がいたので僕含めて6人で観光に行った。
まず初めに「コロンストリート」というところに行った。
ここはいろんな店が軒を連ねているところで日本でいう大きな商店街のようなところであろうか。
夜はかなり治安が悪いらしいが、行ったのは真昼間だったので何事もなくショッピングをすることができた。
その次に「マゼランクロス」とその横の「サントニーニョ教会」に行った。
マゼランクロスとはキリスト教布教のためにセブに訪れたマゼランが建てた十字架のことである。
多くの人が触ったり、削り取ったりしたせいで現物が痛み、現在は木の枠に入れられている。
それでもかの有名なマゼランが建てた十字架というだけで、歴史が特別好きなわけではない僕ですら少し興奮を覚えた。
サントニーニョ協会は1565年に建てられたフィリピン最古のカトリック教会である。
マゼランが当時のセブの女王に渡したサントニーニョ像(幼いキリスト像)が祀ってある。
この日は土曜日であったため、観光客はもちろんのこと地元の人もお祈りをささげるために来ており大変混みあっていた。
その後「サンペドロ要塞」に行った。
スペインがセブを統治していた時に造られた要塞で建設は1565年に始まったとのことなので、かなり歴史がある場所であった。
昼食を適当に済ませ、ようやく僕が一番楽しみにしていたラプラプシュラインに行くことに。
6人いたのでタクシー2台を乗り合わせていった。
事前に調べてすでに開いているということは知っていたが到着するまでは不安に感じていた。
着くとちゃんと開いていてようやく念願のマゼランの御廟とマゼランを倒したラプラプ王の像を見ることができた。
ラプラプ王はマゼランから島を守った「英雄」なのでとてもたくましく作られていた。
帰りはジプニーを乗り継いで、モールで一休みし、学校に戻った。
マニラに5日間滞在し帰ってきた翌日であったが、その疲れを飛んでいくほど充実した1日であった。
5/30
僕の次の週に入校し、4月に一緒にボホール島に行ったご夫婦が今週末で卒業するので、最後に晩御飯をご一緒させていただいた。
そこには僕のほかに生徒数名とあとは学校のフィリピン人の先生も招待されていた。
先生たちと学校の外で話したことが無かったので非常に楽しかった。
このご夫婦にはレストランの予約をしていただいた上に、先生たちも誘っていただき、その上ご飯代もすべて払っていただいたので頭が上がらない。
本当にお世話になりました。