マヤ文明とは~紀元前から現在まで脈々と受け継がれる文化~

ベリーズ滞在中にマヤ遺跡に行ってきました。

あまりにもマヤ文明に対して無知すぎたために、ただ「すごいな~」となって終わってしまいました。

しかしその後は、あんな大きな建造物を建てたのはどのような人たちだったのだろうか、とマヤ文明に対して関心がわくようになりました。

同時に以前から漠然と儀式や生贄などのイメージがあったので本当にそんなことはあったのか気になったので今回調べてみることにしました!

マヤ文明とは?

↑↑XUNANTUNICH遺跡で撮影。↑↑

マヤ文明を簡潔に1文で表すと以下の様になります。

「1万2000年以上前にアジア大陸からアメリカ大陸に進出したモンゴロイド先住民の末裔が旧大陸世界と交流することなく築き上げた都市文明」

この文明は紀元前1000年頃から16世紀にスペイン人が侵略するまで独自に発展しました。

他の文明と大きく異なる点は、16世紀まで鉄器を用いずに石器を主要利器として使い続けたことです。

一般的に、石器、青銅器、鉄器の順に文明は高度になっていくと考えられています。

しかしマヤ文明では使っていたのは石器のみ。

それにもかかわらず、暦の発明や0の概念の発見や、正確な天体観測もできました。

つまりマヤ文明は人類史上最も高度な石器文明だったのです。

地理

マヤ文明はメキシコのユカタン半島とグアテマラ北部とベリーズの低地帯を中心にホンジュラスとエルサルバドルの西部を含む土地で発展した文明です。

マヤ文明の地理は大きく、低地と高地に分けられ、低地はさらに北部と南部に分けることができます。

マヤ低地北部

ユカタン半島北部の比較的乾燥した地域です。

面積は12㎢ほどで、その大部分が年間降雨量1000mmほどの熱帯サバンナですが、北西部はさらに少なく年間降雨量が500mmほどのステップ地帯です。

北部の沿岸部ではマヤ地域で最も質の高い塩が生産されました。

マヤ低地南部

ユカタン半島南部を中心としたメキシコのタバスコ州や、ベリーズからホンジュラス西部の低地にかけて広がります。

気候は高温多湿で年間降雨量は2000~3000mmで主に熱帯雨林で構成されています。

熱帯雨林にはスペイン語でセイバと呼ばれる大木がそびえたちますが、このセイバはマヤ人にとっては世界樹でした。

マヤ高地

メキシコのチアバス高地とグアテマラ高地を中心とする海抜800m以上の高地のことです。

火山や山脈が大河によって分断され多くの盆地があります。

また、火山活動が活発で地震が多いそうです。

歴史

スペイン人が侵略した16世紀以前は先スペイン期と呼ばれ、「石期」「古期」「先古典期」「後古典期」の大きく5期に分けられます。

マヤ文明の起源は紀元前1000年ごろにさかのぼり、16世紀まで様々な都市が盛衰を繰り返しました。

これは時期的には縄文時代末期から室町時代に相当します。

それでは以下で各時代について書いていきたいと思います。

石期(前1万年前~前8000年ごろ)

1万2000年前ごろの氷河期、まだベーリング海峡が陸続きだった時期にアジア大陸からアメリカ大陸にモンゴロイド先住民が移動しました。

そしてその末裔の一部がマヤ人となります。

ちなみに、世界7大陸において新人が最後に発見したのがアメリカ大陸です。

古期(前8000年~前1800年)

この時代では環境変動や人類による乱獲のせいでマンモスなどの大型動物が絶滅しました。

トウモロコシなどが栽培され始めますが狩猟採集が依然として食べ物を得る主流な手段でした。

人々は定住せず雨季と乾季に移住するという生活様式をとっていたそうです。

先古典期(前1800年~後250年)

先古典期は前期、中期、後期の3つに分けられます。

前期
前期の初頭から土器が使われ始めます。
古期と同様に狩猟採集が主流であり、人々は移動生活を送っていました。

中期
トウモロコシの栽培を生活の基盤とする生活様式や土器は中期初頭に相当する前1000年ごろに現れました。

定住生活の始まりです。

その後、マヤ人は同じ場所に住み続け周辺の社会と交流してマヤ文明を作っていきます。

中期の後半(前700年~前400年)には土器が全域に広がり、神殿ピラミッドも建設され始めました。

後期
この時期には多くの都市が発展しました。

エル・ミラドールという都市では高さが72mのメソアメリカ最大の石造神殿ピラミッドが建設されました。

これは日本の弥生時代と同時期です。

貝や翡翠(ひすい)といった財や黒曜石などの遠距離交易、文字・暦などの発展が高度な文明の形成に寄与したと考えられています。

古典期後期の後半(100~250年)はマヤ地域にとって大きな動きのある年でした。

ナクベとエル・ミラドールという大都市が放棄され、他にも多くの都市が衰退していきます。

その原因としては長期間にわたる干ばつ、大規模な森林伐採や環境破壊、都市間の戦争が予想されています。

古典期(250年~1000年)

マヤ文明が最も発達した時期です。

この時代には以下のような特徴がありました。

  1. 神殿ピラミッドなどの大石造建造物
  2. 石造建築様式
  3. 都市の発展
  4. 複雑な図像が刻まれた石碑
  5. マヤ文字の碑文
  6. 翡翠製品や貝で作られた威信財
  7. 貧富や地位の差
  8. 複雑な農業体系
  9. 数字と暦
  10. 多彩色土器
  11. 政治組織

この時代は、前期、後期、終末期に分けられます。

前期
王が行政に従事した官邸とされる王宮が諸都市で製造されるようになります。

後期
この時期には新興都市が次々に誕生し、マヤ文字を刻んだ石碑が数多く建立されました。

南部の多くの都市が全盛期を迎え、政治・経済・宗教の中心地として栄えます。

南部では8世紀に人口がピークに達し、王朝間や王朝内で戦争が多発するようになりました。

終末期
南部の多くの都市が人口過剰、環境破壊、戦争などによって9世紀前後に衰退しました。

神聖王を頂点とする政治組織が衰退し、石碑や神殿ピラミッドの建立が無くなります。

また多くの都市の人口が激減し、マヤ文明の中心は南部から北部に移動しました

しかし、マヤ社会は「崩壊」したのではなく、全体としてはその後も発展し続けます。

後古典期(1000年~16世紀)

この時期は「退廃期」とみなされていましたが、実際は遠距離交易網が発達し商業がより盛んになっていたそうです。

このようにしてマヤ文明は16世紀のスペイン人侵略まで発展し続けました。

スペイン人の侵略(16世紀以降)

スペイン人がこの地域に来たときは小国が乱立しておりしのぎを削っていました。

スペイン人は敵対する勢力を利用して、様々な都市を侵略していきます。

アルバラードは1524年にウタトランという都市を破壊し、1530年にはマヤ高地の諸王国を支配下に置きました。

モンテホが率いた軍はユカタン半島北部の侵略を1527年に開始します。
征服事業は困難だったそうですがモンテホの息子が1546年に達成しました。

スペイン人は海岸部や高地の拠点に植民都市を建設してマヤ地域の征服を宣言しましたが、実際はマヤ人の反乱は絶えず行われておりスペイン人の支配が及んでいない地域も多くありました。

多くのマヤ人はユカタン半島東部・中部や高地に移動し多くの小規模な共同体が存在したそうです。

ノフ・ペテンという都市はコロンブスの航海から200年以上経った1697年まで侵略されずに残っていた最後の都市でした。

残念なことに、スペイン人侵略後のマヤ人はとても悲惨な運命をたどります。

天然痘などの伝染病が大陸から持ち込まれ、強制労働や虐殺もあり多くの人が亡くなりました。

天然痘の流行は人口を減少させ、戦意を喪失させました。天然痘については他の記事で詳しく書いています!
天然痘 ~人類が撲滅に成功した唯一の人の感染症~ 

独立後

メキシコと中央アメリカ諸国は1821年にスペインから独立しました。

しかしそれはスペイン人移住者の子孫らによる、スペインからの独立でありその土地にもともと住んでいた先住民によるものではありませんでした。

マヤ人はその後も同化政策や差別などに苦しんでくことになります。

しかし、完全にマヤ文明が無くなったわけではなく現在も30ほどのマヤ語が話されており彼らの祖先も800万人いると考えられています。

最も多いのがグアテマラで、国内の人口の40%ほどがマヤ人の子孫であるそうです。

マヤ文字

マヤ文字は日本語とよく似ています。

漢字のように1字で1単語を表すを表す表語文字と仮名文字のように1字で1音節を表す音節文字から構成されています。

これは漢字仮名交じりの日本語とよく似ていますね。

700程の文字素を組み合わせて文字が書かれ、全部で4万から5万のマヤ文字があると言われていますが総数は分かっていないそうです。

マヤ文字では文字素はおよそ700個ですが、平均では250から300が使われることが多く400以上使われることはほとんどなかったようです。

マヤ文字は角が丸みを帯びた四角な文字マスに大きさの違ういくつかの文字を組み合わせて書いていきます。

音節文字

子音と母音の結合したsaやtaなどの音を表す文字を音節文字と言います。

そのためマヤ語でも日本語でいうところの50音図のようなものが出来上がります。

しかしマヤ語には20の子音と、5つの母音があるため100音図です。

この100音図はまだ研究中で埋まっていないところもあるそうです。

実際にマヤ文字を書いてみるとよく分かりますが、文字素を組み合わせるときにバランスをとるのが少し難しいです。

文字素の組み合わせは自由ですが左上から右下の順に読むのが原則なのでその順に書くのが良いとされています。

しかし、左と上の文字、右と下の文字は交換できるそうのでバランスをとるようにうまく書くことが可能です。

このように同じ文字でも、文字素の組み合わせ方によって形が異なる場合があります。

漢字で言えば、部首と旁(つくり)の位置が変わるみたいなことですね。

表語文字

表語文字とは「1字がある概念を表す文字」のことです。

漢字の「山」や「川」のような「象形文字」(ものの形から生まれた文字)はこれに含まれます。

「即位」の表語文字はまさに人がひざまずいている形になっています。

一方で、形から何を表しているのか分からない表語文字も多く、その場合は文脈から推測するそうです。

マヤ数字

マヤ人は手足両方の指を使って20進法を使っていました。

マヤの数字は基本的に3種類の文字を組み合わせて表します。

1に相当する「点」、5に相当する「棒」、そして「ゼロ」または「完了」を意味する文字の3つです。

マヤの数字は点と棒のほかに頭字体と呼ばれる文字もあります。

マヤ暦

西暦では時間が直線的に表されます。

しかし、マヤ暦では時間は干支のように循環しており、様々な周期が組み合わされてできているそうです。

長期暦

長期暦はおよそ5125年で一巡します。

長期暦は西暦における日、週、月、年、世紀のように5つの時の単位からなります。

それらはキン、ウィナル、トゥン、カトゥン、バクトゥンです。

“×”の意味は、例えばキンとウィナルの間だったら「1ウィナル=20キン」ということです。

マヤ文字の数字の所でも書いたように、マヤ人は20進法を使っていたので暦の単位も基本的に20でひとまとまりにされていました。

しかし、トゥンだけ20進法に従っていないのに注目してください。

1トゥン=18ウィナルとなっています。

これは実際に1年の長さに近づけるためであると考えられています。

260日暦

260日暦は、20個の日の名前と13の数字が組み合わされた神聖暦・宗教暦です。

260暦は太陽暦で約9カ月という女性の妊娠期間に相当するので出産予定日を計算するために編み出されたという説もあります。

365日暦

365日暦はマヤ文字でハーブと呼ばれましたが西暦の太陽暦とは異なります。

1か月は20日でそれが18カ月あり5日だけの19番目の月が最後につく、という構成になっています。閏年も無ありません。

グアテマラの一部のマヤ人は今でも260日暦や365日暦を使っているそうです。

長期暦の5125年で「長い!」と感じた人も多いと思いますが、それよりも周期が長い暦の単位が使われていました。

バクトゥンの20倍のピクトゥン(約7885年)、400倍のカラブトゥン(15万7700年)、8000倍のキンチルトゥン(約315万4004年)、16万倍のアラウトゥン(約6308万82年)が知られています。

しかし多用はされていなかったようですが。

ユカタン半島東部にあるコバー遺跡にある石碑には日数で言うと10の31乗という天文学的な長さの循環暦が記載されていたそうです。

このような非常に長い期間の循環暦を計算した古代文明は人類史上でマヤ文明だけです。

こんなに長い時間の感覚を持っていたことからも、マヤ文明がいかに発達していたかが分かりますよね!

マヤ文明は世界の終末を予言していた?!
「2012年に世界が終末することをマヤ文明が予言している」と一時期騒がれていました。しかし実際にはどの碑文にもそんな記述はありません。実は5125年の周期を持つ長期暦が2012年12月21日に一巡したのです。これを誤解したことで終末論が生まれてしまいました。

マヤ社会での身分

王、女王

マヤ文明での王は政治を行うとともに、儀式では最高位の神官であり、戦争時には指揮官でもありました。

専業の神官は存在せず王や貴族が神官の役割を果たしました。

王位は世襲制であり、父から息子へ王位が継承されることが多かったそうですが、兄弟間の相続もあり、まれに女王もいました。

マヤの王は先祖と神との仲介役であり神格化された存在でした。

しかし、儀式では自らの血をささげることもあったことから権力者というより、先祖と神の仲介役を担う神格化されたシンボルという側面が強かったそうです。

男性の継承者がいない場合は女王が継承する時もありました。

パレンケ王朝では16名の王のうち、少なくとも1名は女王であったと考えられています。

貴族

王家の人々や貴族は、宮廷の知識階級で政治、経済、宗教に影響力を持ちました。

文字の読み書きは一部の貴族だけが行うことができ、情報を伝達するためだけでなく、農民と区別するための政治的な側面も持ちました。

貴族の中には書記を務めるとともに、暦の計算や、天文観測、戦争時には戦士として戦うなど多くの役割を担っている人もいました。

農民

マヤ社会は支配層と被支配層に二分され、被支配層は社会の9割以上を占めその大部分は農民でした。

彼らは支配層に農作物を納め、農閑期には神殿ピラミッドの建設に従事しました。

儀式の時や大きな建造物を作る時は都市の大部分の人が参加したため、コミュニティの結束が強まりました。

儀式

儀式は先祖崇拝、王の即位、後継者の任命、神殿の完成などの際に行われました。

儀式では王族や貴族による歌や、踊り、楽器の演奏が行われたそうです。

それらは神々や先祖と交流するための手段の1つでもありました。

マヤ人はジャガーや鹿などの動物や人間を生贄として神々に捧げました。

生贄は世界や人間が存続するために必要不可欠なものであると考えられていました。

生贄は首を切られるか、解体されて打ち首、心臓が取り出されます。

戦争では敵の王や、王族・貴族を捕獲することが非常に重要で、最高の生贄は王でした。

注意してほしいのは、この生贄は罪に対する罰として行われることはなく、処刑と生贄は全く別のものでした。

また、血を神にささげることも多くありました。

男性は自らの性器や耳を切りつけて、女性は舌を切りつけて血を出し、血は紙の上に出され、神々への供物として焼かれました。

放血はアカエイの尾骨や、骨や翡翠で作られた模倣品で行われていたそうです。

人間を生贄にささげることはあまり頻繁には行われていなかったそうです。ちょっと安心しました。

神様

マヤの宗教は過去も現在も多神教です。

マヤの神々は遠い存在ではなく、病気の治癒や農作物の耕作など日常生活に密接に関係する存在でした。

太陽、月、北極星、惑星、星座、虹、トウモロコシ、動物、雨、風などそれぞれに神が存在し、マヤの碑文には「8千の神々」がいると記されているそうです。

また、1人の神が複数の役割を果たすこともありました。

その中でも重要な8人の神を紹介したいと思います。

①イツァムナ

彼は歯が無くて大きな鼻をもつ老いた男性として描かれることが多いです。

トウモロコシの栽培、暦の発明、薬の発見などにかかわっていると考えられています。

イツァムナは知恵と知識を伝えることの象徴とみなされていますが、同時に天空と大地の神でもあります。

②チャーク

チャークは雨と嵐と稲妻の神です。

ユカタン半島では農業の守護神と考えられているので現在も一部のマヤ人がチャークに雨ごいの儀礼を行っています。

メソアメリカで稲妻のシンボルであった石斧を持って描かれることが多いです。

この石斧で雨雲を叩いて雨を降らせると言い伝えられています。

チャークは4つの方角の風と関係していたので東西南北に4人のチャークがいました。

また、1年のうちの特定の時期に農耕や自然現象と関連して他の役割を持っていました。

「ヤシュ・ハール・チャーク」は雨季の最初の雨の神、「ムヤル・チャーク」は霧雨の神、「ヤシュ・ブル・チャーク」は激しい嵐の化身でありその年の最初の洪水を引き起こします。

③イシュチュル

イシュチュルとはユカタン語で「虹の貴婦人」という意味で、彼女はイツァムナの妻でした。

古典期には虹、出産、産婆、破壊の女神で恐ろしく強い力を持つと考えられていましたが、後古典期以降は虹、豊穣、出産、織物の女神としてそれほど恐ろしくはない女神として崇拝されました。

④キニッチ・アハウ

マヤの太陽神であり男性です。

時間と空間の守護神でもありました。

マヤ文字の「キン」は太陽または1日を表し、太陽神の顔、腕、脚にその文字が書かれていることが多いです。

寄り眼はマヤの美形のシンボルであり、ワシ鼻で上の前歯がT字型に崩れています。

太陽神はジャガーと密接な関係があり、太陽神がジャガーの耳を持つことがある。

⑤トウモロコシの神

この神は人間の頭を持ち、その先端が伸びているトウモロコシの穂になっています。

言い伝えによると、最初のトウモロコシの種から誕生したのがこの神だそうです。

⑥死の神

骸骨風の死の神で、アステカ神話では「ミクトランテクートリ」として知られています。

「キシン」と呼ばれることもありますが、これは悪魔を表す単語です。

描かれる際はあばら骨があらわになっていますが、これは死・腐敗を表しているそうです。

⑦月の女神

月の女神は太陽神であるキニッチ・アハウの妻であり、豊穣とトウモロコシに関連付けられていました。

ウサギと一緒に描かれることが多く、日本と同様にマヤでもウサギが月と深い関連があったようです。

ウサギは女性の豊穣と多産のシンボルとされています。

⑧地底世界の神

この神は夜と地底世界に関連があると考えられていますが、同時に商人の神でもありました。

この神は年老いた男性で、頭はフクロウの羽根で装飾されており、ジャガーの耳を持ち、背中はジャガーの毛皮で覆われています。

神殿ピラミッド

マヤのピラミッドは王や貴族などが様々な宗教儀礼を執行する公共建築物でした。

また、マヤの山信仰とも深くかかわりあっていたそうです。
神殿ピラミッドは人工の山を象徴しています。

マヤの人たちは洞窟も信仰していたので、ピラミッドの入り口は洞窟への入り口も表してもいました。

王や貴族はピラミッドの中にある神殿に入って儀礼を行い、神々と交流したそうです。

エジプトのピラミッドと異なる点は頂上部にキャップストーンが無いため、尖っていないことです。

「ピラミッド」という名前は欧米の考古学者がエジプトのピラミッドになぞらえてつけたが、関連は全くありません。

同じような形をしているのを不思議に思う人がいるかもしれませんが、僕が参考にした本の筆者はこう言っています。

鉄筋コンクリートのない時代に石を積み上げて高い建造物を建造すれば、誰が建設しようと結果的にピラミッドの形になる。

「マヤ文明を知る辞典」青山和夫

確かに四角い石を渡されて、「なるべく高い建物を造れ」と言われたらこのような形にせざるを得ないですね。

食料

マヤ地域を含むメソアメリカでも最初は狩猟採集が中心で、先古典期中期に生産性の高いトウモロコシを栽培できるようになってからは農耕が中心の生活となりました。

以前まではトウモロコシを主作物とする焼畑農業だけを行っていたと考えられていましたが、それだけでは都市の人口を養えないことが分かったので、集約農業も組み合わされていたと現在では考えられているそうです。

集約農業では河川や湧水を利用した灌漑農業、低湿地の底の泥を積み上げた盛土畑、段々畑などが行われました。

家畜は犬と七面鳥だけであり、動物性たんぱく質は狩猟や漁業で補われていました。

トウモロコシは麦、稲とともに世界3大穀物を構成し、世界の穀物生産の1位を占めます。

マヤ人の主食は先古典期中期から現在までずっとトウモロコシです。

製粉用の石盤と石棒を使ってトウモロコシの粉を挽き潰してトウモロコシ飲料のアトレ、蒸し団子のタマル、薄い円形のパンであるトルティーヤとして利用されます。

初期のトウモロコシは長さが2cmほどしかないとても小さなもので、現在とは全く異なる外見でした。

しかし、数千年にわたって品種改良が重ねられた結果、長くなり、実も大きくなって生産性が高まっていきました。

スポーツ

マヤ文明でのスポーツとしては球技が有名です。

しかしこれは現在のようなレクリエーション目的で行われるものではなく、あくまでも儀式や政治活動に密接に関連したものでした。

球技者は貴族であり、まれに王も参加することがあったようです。

球技は数人からなる2チームに分かれて行われ、腕、尻、太ももにゴム球を打ち当てて、相手チーム側の端に入れるか、得点板に当てることで点数が入ります。

手、頭、足を使うのは禁止であり、用いられる球は中に空気は入っておらず非常に硬かったため、当たり所が悪いと骨折することもありました。

重要な祭礼では負けチームかそのキャプテンが生贄に捧げられることもたまにあったようです。

球技場は都市中心部の神殿ピラミッドや公共広場の近くに配置されました。

その多くは「I」字型をしており両端は閉鎖しています。
チチェン・イツァの「大球技場」は長さ168m、幅70mありメソアメリカで最大です。

左右にある壁には地上から7mのところに石輪があり、そこをゴム球を通せば得点が入ったようですが実際は非常に難しかったと考えられます。

球技場によっては1万人ほどの観客を収容することができる場所もあったようです。

マヤ文明と環境破壊

2世紀頃マヤの一部の大都市が放棄されました。

その要因として都市化による大規模な森林伐採など環境破壊が進んだ可能性が指摘されています。

その他には長期間の干ばつや都市間の戦争の可能性も示されています。

また、多くの都市が8~10世紀にかけて衰退しました。

これは人口過剰と農耕による環境破壊が戦争などと相まって生じたと考えられています。

ティカルという都市は乾季に水が不足していたそうです。

この都市では神殿ピラミッドなどの公共の建造物が漆喰で塗装されていました。
最盛期には人口の増大によって多くの建物がたてられ、漆喰がより多く使われました。

この漆喰が環境破壊に拍車をかけました。

なぜなら漆喰を得るためには大量の薪を燃やす必要があったからです。これによって大量の木々が伐採されます。

ティカルはこのように周囲の資源を大量に消費していき、人口の増大が限界を迎え、資源が不足するようになり、9世紀に入ると衰退していったそうです。

何だか同じようなことが現在世界で起こっているように思えます…

ケツァール

最後は動物についてです。

ケツァールはキヌバネドリ科に属する鳥で尾羽を含めると全長は1m以上にもなります。

この鳥の羽は光の当たり具合によって光沢のある緑または青色に見えます。

それが非常に美しいのでマヤ文明では王などの支配層の人たちの頭飾りや扇、衣装の装飾などに使用されていました。

王族や貴族だけが身につけていたので平民との差は一目瞭然でした。

現在この鳥は密猟と森林伐採による生息地の減少で絶滅危惧種に指定されており「幻の鳥」と呼ばれています。

またグアテマラの国鳥であり、グアテマラ国旗の中央に描かれているうえに貨幣の単位でもあるそうです。


↑↑神殿頂上からの景色。絶景でした。↑↑

マヤ文明と聞くとすぐに、「生贄」や「人類滅亡の予言」などをどうして想像してしまい、何だか謎の多いミステリアスな文明だと思っていました。

しかし今回の記事を書くにあたって調べてみると、明らかになっていることが多く、非常に高度な文明が栄えていたということが分かりました。

また、今でもマヤ文明は残っていて多くのマヤ人の子孫がいるというのには驚きました。

僕がベリーズで出会った人の中にもひょっとするとマヤ人がいたかもしれませんね!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

参考
「マヤ文明を知る辞典」 青山和夫 東京堂出版
「マヤ文明 密林に栄えた石器文明」 青山和夫 岩波新書
「マヤ文字を書いてみよう読んでみよう」 八杉佳穂 白水社

出典
アルバラード
https://www.thefamouspeople.com/profiles/pedro-de-alvarado-6607.php
モンテホ
https://www.biografiasyvidas.com/biografia/m/montejo.htm
アトレ
https://www.mexiconoticias.mx/recetas-mexicanas/atole-cajeta-receta-preparacion/
トルティーヤ
https://www.simplyrecipes.com/recipes/homemade_flour_tortillas/
タマル
https://www.foodnetwork.com/recipes/marcela-valladolid/easy-corn-tamales-recipe-1954054
・歴史 石器での画像
https://www.sutori.com/story/the-stone-age-a-history-of-early-humans–WmS7Nsz2g8MrwF1CT5TEUjTd
・歴史 古期での画像
https://www.sutori.com/story/the-stone-age-a-history-of-early-humans–WmS7Nsz2g8MrwF1CT5TEUjTd
・歴史 先古典期での画像
http://www.incamayanaztec.com/aztec-daily-life.html
・歴史 古典期での画像
http://www.angelfire.com/hi5/interactive_learning/SAindians/Aztec.htm
・歴史 後古典期での画像
http://aztecbosco7.weebly.com/aztec-economics.html
・歴史 スペイン人の侵略での画像
https://www.huffpost.com/entry/whats-wrong-with-columbus-day_n_59d7d474e4b0c0918c73be89?dh=
・マヤ暦での画像
https://www.bbc.com/news/magazine-20764906
・儀式での画像
http://acc.libfl.ru/lecture-sacrifice-in-the-culture-and-art-of-ancient-maya/
・神殿ピラミッドでの画像
https://interestingengineering.com/the-collapse-of-mayan-civilization-was-caused-by-severe-drought-reveals-research
・スポーツでの画像
http://enkispeaks.com/mayans-blacks-semites-ruled-cains-descendants-s-american-indians-from-central-mexico-to-western-peru/
・ケツァールの画像
https://www.offthebeatenpath.com/seeing-the-quetzal-a-costa-rican-birding-quest/