マゼランの世界一周を分かりやすく!

マゼランの世界一周を分かりやすく!

語学学校を先日卒業し、数日後にはタイに行く予定の今日この頃です。
卒業後もセブに滞在しているのですが、今はセブ島のすぐ横のマクタン島のゲストハウスに泊まっています。
(本当にすぐ横で2本の橋が架かっており、車で普通に行き来できます。)

実はこの島、中学校や高校の世界史で習う「マゼラン」が命を落としたことで有名なのです。
なので今回はマゼランが死んだこの地で彼についての記事を書いていきたいと思います!

マゼランを簡単に説明すると!

「マゼランって聞いたことあるけど何した人だっけ?」という人も多いと思います(僕もすっかり記憶のかなたに行ってしまっていました…)
そんな人たちのためにまず初めにマゼランを1文で説明すると、
1519~22年の間に世界一周を初めて果たしたポルトガル人の航海者
です!
これを念頭に続きを読んでいってくださいね!

航海まで

1480年ごろにポルトガルの下級貴族の家庭に生まれたとされています。
マゼランの世界周航までの記録はあまり無いようなのですが、香料が豊富なモルッカ諸島に航行したことがあったそうです。
その後、ポルトガルを離れ(理由は分からないらしいです)スペインのカルロス1世に西回りでのモルッカ諸島へのルートを見つけることを提案しました。
これが認められ、マゼランは世界一周に行くことになりました。

モルッカ諸島
インドネシア東部のスラウェシ島と西イリアン西端との間に点在する諸島で、歴史的に香辛料が良く取れることで有名でした。
現在はマルク諸島と言います。

航海開始~停泊&反乱

1519年8月に5隻237人でセビリアを出発しました。
南西に進んだマゼラン一行は現在のリオデジャネイロ地方に到着し、裸族のトゥピナンパ族と出会います。この部族たちは人食いの習慣がありましたが、マゼランたちは非常に友好的な関係を築きます。

その後、南米大陸の東岸に沿って南下します。
その最中に西側に抜ける水路を発見して喜んだのですが、進んでいるうちに大きな川であることに気づき引き返すことになりました。この川はラプラタ川と言います。
このような遠回りもあり、パタゴニアのサン・フリワン湾に到着したころには冬になっていました。
地図を見ればわかるのですがこの場所は南極に近く、非常に寒かったため一行はここでしばらく停泊することになりました。

この停泊中は寒さが厳しいことに加え、マゼランが食糧の節約を呼び掛けたので船員の不満がたまっていきました。そんな中、船団の1隻が難破もしてしまいます。
スペイン人船員の中にはポルトガル人であるマゼランがわざと航海を失敗させて、そのままポルトガルに帰ってしまうのではないのか、と思っている人もいたそうです。
スペイン人乗組員はついに反乱を起こしてしまいました。
この時マゼランは反乱のリーダーを殺すことでこの場を納めました。
しかし、反乱が終わったからといってすぐに仲良くなれるわけでもなく、わだかまりは残ってしまいました。
これが最後マゼランが死ぬときに影響するので頭の片隅に置いといてください。

セビリアはここでーす
ジブラルタル海峡の近く!

航海再開~マゼラン海峡通過!

停泊を終え、航海を再開したマゼラン一行は太平洋に通じる海峡を探してさらに南下を続けます。
そしてついに太平洋と大西洋をつなぐ海峡を発見しました!
この海峡は彼の名前をとって「マゼラン海峡」と呼ばれています。
この海峡を通る途中に艦隊最大の船であったサン・アントニオ号がはぐれてスペインに帰ってしまいました!
これにより艦隊は3隻になってしまいます(最初は5隻)。
マゼランは海峡の中で船がサン・アントニオ号が帰ってくるのを待ち、待っている間に海峡の前方に偵察船を出します。3日後に帰ってきた偵察船は海峡の向こうに海があったと報告しました。
マゼランはサン・アントニオ号をあきらめ、マゼラン海峡を通過し、太平洋に到着しました!
はぐれたサン・アントニオ号を待ち続けたことで海峡を抜けるのに1か月以上かかってしまいました…

太平洋横断~フィリピン到着

太平洋は大西洋と比べ非常に穏やかで、大きな嵐などにも遭わなかったそうです。
これを喜んだマゼランはヨーロッパ人が初めて到達したこの海を”マール・パシフィコ”、日本語で”平穏の海”と名付けました。英語でも”Pacific Ocean”で直訳すると”平和な海”ですよね!
太平洋の名付け親が、かの有名なマゼランだとは知りませんでした…

海は荒れなかったのですが、壊血病に苦しめられ横断中に19人の乗組員が死んでしまったそうです。

このような困難も乗り越え、一行は太平洋の西に位置する島々に到着しました。
これが現在のフィリピンです!

セブ島への上陸~マゼランの死

マゼランはフィリピンの島の一つであるセブ島に上陸しました。
マゼランはこの時戦いませんでしたが、服従しないと戦争を起こすと脅してセブ王を服従させ、キリスト教に改宗させます。
これが現在フィリピン人の8割以上がキリスト教であるきっかけとなっています。

セブの住人を改宗させたマゼランはその次に隣のマクタン島にも布教させようと試みます。
この時少し調子に乗っていたマゼランは、たった60人だけでこの島を征服しようと試みました。しかし、マクタン島の王”ラプラプ”はこの侵略の情報をすでに知っており1500人ほどの兵を率いて待ち伏せしていました。
これには銃を持っていたマゼランも敵いません。
マゼランはここで死んでしまいます。
マゼランを倒したラプラプは英雄として讃えられています。

この時スペイン人乗組員たちはマゼランを助けませんでした。以前のわだかまりがまだ残っていたためです。

ちなみにこの後フィリピンはスペインの植民地になってしますのですが、当時のスペイン国王の名前”フェリペ2世”の名前にちなんで、この国は”フィリピン”という名前になったそうです。

マクタンシュラインにて
右がマゼランを倒したラプラプ
左がマゼランの御廟

モルッカ諸島到着

マゼランが死んでも艦隊は航海を続けました。
この時点で船は3隻残っていたのですが、乗組員が少なくなり全てを維持することが難しくなったため1隻を捨てて、2隻で航海することになりました。
ボルネオ島などに寄港し当初の目的であったモルッカ諸島の一つのティドーレ島に到着します。
この付近の島々に貴重な香辛料が残っていることを確かめた乗組員たちは、ティドーレの王に贈り物をしてその代わりに香辛料を手に入れ、スペインに帰ることになりました。

スペインに帰還!

フィリピンを出発しましたがその後のインド洋などはポルトガルの勢力圏であったため寄港をなるべく少なくしてスペインを目指しました。
にわかには信じられませんが、約2か月間食料のないまま航海したこともあったそうです。

マゼラン死後もこのような困難を経て1522年9月6日にスペインのサンルカル港、9月8日に出発地であるセビリアに入港しました!

最初237人いた乗組員は18人となっていたそうです…

航海ルート

およそ3年かけてこのルートを周りました。

どうでしたでしょうか?
マゼランは途中で死んで世界一周を成し遂げてなかったり、太平洋を命名したりと意外な事実がたくさん出てきましたね!
個人的には海峡だと思って進んだところが実は大きな川だったというところが面白かったですね笑笑
(本人たちは絶対笑ってなかったと思うけど…)
最後まで読んでいただきありがとうございました!

参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%BC%E3%83%A9%E3%83%B3
https://www.y-history.net/appendix/wh0901-035.html

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